「炭は湯の沸くように」を説明する前に、本来茶席では炭火で湯を沸かしていたことを伝えなければならない時代となってきた。炭火を使う機会は、バーベキューに残っているだろうか。最近では、着火剤なるものを下に置き、火をつけて、その火力で炭に火を移している。肉を焼き終わったら、火は用済みとなり、そこで消してしまうので、火がどれくらい持つかという関心は薄らいでいるようだ。
また、バーベキュー用では炭といっても練炭である。それと茶の湯で使う炭と違うことは想像できても、焼き鳥屋やうなぎ屋で使われる「備長炭」とも違うことにも説明が必要であろう。
茶のための湯は、鉄製の釜に水を入れて沸かされる。焼き鳥やウナギの蒲焼と違って、釜に焼き目をつける必要はない。火力が強いけれども火持ちの長くない備長炭とは別に火持ちのする茶の湯専用の炭が使用される。その場面から説明していこう。
茶席では、いざ茶を点てるというタイミングに、釜の湯が丁度良い温度になっていることが求められる。
正式の茶事では、茶席に入ってから、茶が供されるまでに、懐石と言われる食事をとる。
固定式の炉または移動式の風炉と呼ばれるものの中に入った灰の上に炭が置かれる。その上に湯水を入れた釜がおかれたら、炭の状態をととのえるには、重い釜をどかさなければいけない。この調整は、「炭点前」と呼ばれ、手順と手際が重視される。炉の場合は懐石の前、風炉の場合は懐石の後に、炭の調整が行われたら、茶を点てるまで、時間が経つのを待つだけである。
客の入席前に準備されている炉の中に準備されている炭火は、種火と呼ばれる程度の少量だからだ。これに炭を足した湯を沸かす火力を生み出さなければいけない。そのためには、新たに足した炭に火が移るのに十分な程度に火が起こった種火の状態から炭点前を始めるのが理想である。
新たに足した炭に火がきちんと燃え移ってくように、炭の置き方の配置も工夫しなければいけないところに亭主の力量が問われる。
そのため、客がいないところで、炭を継いでいた所作が、客からリクエストされて、客の前で実行されるようになった。茶を点てる「点前」と同じく、「点前」と組み合わせて「炭点前」と呼ばれる所以である。
人前で行うとなると、炭を置く位置が悪かったので、やり直して修正ということもやりにくくなった。手順、手つき、早さとかいろいろ気にすることが増えてくる。そうすると、手順良く、炭が置けたけれども、いざ茶を点てるとなったら火が移っておらずに消えていた、ということも発生しかねない。
手順を気にしすぎて目的を達せられない本末転倒の事態を避けるための注意が、「炭は湯の沸くやうに」である。
いきなり戦史に話題が飛んでしまうが、手順にこだわった失敗の最たるものとしては、ミッドウェー海戦での日本海軍のもたつきが思い起こされてしまう。ミッドウェー島に再度爆撃を行うために爆弾を積んで発艦準備が整っていたところに、敵空母発見の報を受けて、爆弾から魚雷への転換をしたために、魚雷を装着した攻撃機が発艦しようとしたところに、米軍機の急襲を受け、大敗北を喫した痛恨の瞬間である。
敵艦を発見した時に、山口多聞少将の陸用の爆弾を積んだままでも攻撃隊を発艦させるようにとの意見具申が取り入れられていたら、と戦史を知った誰もが悔しい思いをする場面である。この山口多聞少将の進言がまさに「炭は湯の沸くやうに」だと考えている。
ミッドウェー海戦での戦略上の失敗要因としては、「戦略目的があいまいであった」という点が指摘されている。ミッドウェー島を攻略することが大切なのか、敵機動部隊を撃滅することが大切なのかが曖昧なことが失敗につながったというのである。
そもそも戦略目的がはっきりしていたら、陸上攻撃用の爆弾を積んだ攻撃機の出撃準備が出来ているときに、敵機動部隊を発見するということも起こらなかったであろうが、その時々にあらわれた状況にどういう判断を下すかが、指揮官にはつねに求められている。
陸上攻撃用の爆弾では、敵空母に十分な打撃を与えられないというのは、一つの正論あるけれども、山口多聞がそれにこだわらなかったのは、「機動部隊同士の戦いは、敵を見つけて、先に攻撃した方が勝つ」という航空戦で一番大切なことを専門家として熟知していたためであろう。「攻撃の形にこだわっていて、ぐずくずしている間に敵に見つかったらどうするのだ」と思っていたのだろう。
炭点前の場合で言えば、「継いだ炭に火が移って湯を沸かせる火力を得ること」が一番大切なことで、綺麗な形に炭がつがれても火が移らなかったら話にならない。
なんのために行っているのが、一番大切な注意点を見失ってはならない、との注意喚起が「炭は湯の沸くように」ということなのである。
著者紹介:田中仙堂
公益財団法人三徳庵 理事長/大日本茶道学会 会長。
著書に『近代茶道の歴史社会学』(思文閣出版社)、『茶の湯名言集』(角川ソフィア文庫)、『岡倉天心「茶の本」を読む』(講談社)、共編緒に『講座 日本茶の湯全史 第三巻 近代』(思閣出版)、『秀吉の智略「北野大茶湯」大検証』(共著淡交社)、『茶道文化論 茶道学大系 第一巻』(淡交社)、『お茶と権力 信長・利休・秀吉』(文春新書)など多数。